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2011.08.27 Saturday

陸前高田&ダンガリー

陸前高田でダンガリーはポロシャツだった。

でもダンガリーはダンガリーだ。

ダンガリーにカレーをご馳走になりました。

ダンガリーと別れた後、一人で薪切場に戻りました。

そして、物思いにでもふけようかと思った。

収穫ゼロの1日じゃない。

走ったことも 見たことも 思ったことも色々なことを自然にちょっとクールダウンして、整理したい、と考えてた。



そして今日みんなにメールを書いた。

書いたことで整理できた。

よかった。



この薪は、以降 "復興薪" ではなく、 高田の薪、とでも言おう。


消費する方向で、動いてます。



3月のローソン


昨日のローソン。同じ店だよ。



すごいね。


そして木はこんなにもある。


すごい量だけど

焼却処分への道なんだろう。。。


2011.08.25 Thursday

薪割現場

2011082515060000.jpg
やぱり現地には

現地に行かなければわからないことがあったよ

2011.08.25 Thursday

陸前高田市に向かってます

2011082510500000.jpg
湾岸線から約5キロちょっと。

津波の面影が枯れた木々に残っている。

2011.08.24 Wednesday

陸前高田復興薪の行方について考える2

3月4月の初めての活動の時、目いっぱいウチの活動に協力してくれたD'STYLE 橋本大治。
彼に、「今度は俺たちが」と札幌の加藤くんと協力を申し入れ

ボクのブログでひっそりとした呼びかけに山形の遠藤さん、名古屋の親方、長野の塚本さん、ダッチウエストさん、ダンガリー伊藤さんなんかが反応してくれ

長野のマキメンさん(当時全く面識なし/笑)にメールでお誘いし賛同してくれて、みんなで薪を割ったのがもう一ヶ月も前。

それからいい付き合いが続いているのも、まさに復興薪のおかげ。  



でも使えなくなった。


薪は現地にある。

それを生かすアイディアが実現できるかどうか、

今から現地に行くことにしました。

ちゃんと報告しました(笑)、弾丸で帰ってきます。

2011.08.18 Thursday

陸前高田復興薪の行方について考える

あの薪を何かできないかなあ、、という思案はとめどなく続いていて、(いや、俺の中でね/笑)

なんといいと思えるアイディアを思いついた。



誰か巻き込んで迷惑をかけるのもイヤだしね、成立可能な妄想かどうか

現地調査に行くことにした。


妄想だけが人類を進化させたわけだけど

進化する唯一の手段が"動く"というこった。


日程不明(笑)

なるたけ早く行きたいと思っている。

ああもっと近ければなぁ。フェリーで行かなきゃだからなぁ。


仕事もめちゃくちゃ忙しいですけど。。。待っているお客様がいる限り、ひ み つ で現地に行って、つらっと戻ってきます(ウソですちゃんと言いますよ/笑)

お客様がこのブログを読んでないことを祈ります(笑)


ではアイディアのヒント。

ボクは大きなことは考えないです。



カトーくんも憂いた表情でそう言ってます。。。


2011.08.13 Saturday

みんなの気持ち

今日現場から帰ってくると、

届いていたメールの中に見慣れないアドレス…

訛ったタイトルから気持ちの中にするり入られ、

まるで目の前にいて話しかけてくるよう。

陸前高田で一緒に薪を割った、俺が勝手に"ダンガリー"とあだ名を付けさせていただいた、大船渡の薪屋さんのオトーサンだった。


自分で少し聞き訳のいい子になっていた、って、気付いた。

俺はそこであの薪見てないもんな。

見たいな。


メールを転記したいと思います。

みんなの気持ちがこれなんだ、って素直に思った。




なんとかなんないべか

お疲れ様です
大船渡の
岩手の薪屋
〇〇です
いま、薪割の現場を見てきました
乾燥も進んでとてもいい薪に育ってました
津波で家が流された時とは違う空しさを感じました。
あの薪なんとかなんないんだべか
ただあのまま産廃処理っていうのもなぁ〜
あの時みんなの汗と気持ちは本物だったと思うから




オトーサン、メールありがとう。

2011.08.13 Saturday

いわて陸前高田の薪

京都の大文字焼きで送り火にされる予定だった岩手の赤松の薪。

結局僕等がこのあいだ割るのをお手伝いしに行った薪が京都に500本売られ、

それからセシウムが検出された。

薪作りも頓挫なのかもしれないが、これは薪だけの問題で全然済まない。

瓦礫や、うず高く積み上げられた自動車のスクラップ、土、水、、全部に同じように付いてることにならないか

木材は僕等みたいに薪以外にも、バイオマス発電や、ペレット、チップ、色々なところが動いているよね。

どうなるんだろう…。


憎むべきは放射能なわけだけど、、、

沢山の赤松を現地で切って割ってきたけど

放射能は見えなかった。

感じなかった。

こんな怖いことってあるか?


かのチェルノブイリ以上の原発事故とされ、メルトダウンという怖い言葉を一般化せしめた今回の事故のさなかでさえ、

オール電化住宅が進められ

深夜電力を使った給湯、暖房システムが採用されていることが多い。

原子力発電をやめることが出来ない裏づけになってしまわないか?



原発は要らないと、怖いとつくづく感じました。


北海道の小さな薪ストーブ屋の被災地支援という小さな試みは、これからも続けて行きます。

何が出来るか、何が大切なのか、考えることに立ち返る出来事でしたね。


僕等の笑顔と汗は、次につなげます。


2011.07.21 Thursday

焼印作りますわ。

あるイベントの向けて、焼印つくりたいんです。

そこで皆さんに(笑)、全国1000人の熾壺っコのみなさんに聞きたいです、鋳物の鋳型用の木型彫ってる人、いませんか(笑)

ちょっとマニアックすぎるな(笑)いくらなんでも。

もちろんチャリティでの協力。

趣旨は、岩手の陸前高田の赤松に焼印押して、ちょっとしたもの作って、イベントで売りたいんです。

収益は全額、復興資金に当てます。

鋳型の砂が抜けるような、彫り方をしなきゃいけないみたいで、俺彫刻刀小学校の頃ウマかったんだよな、とか、はダメみたいです。

鋳造は地元の鋳造所でさくっと作ってもらおうかな、と思っています。



この、高田の一本松をモチーフにしたものを焼印したいのですわ。

そんなステキな方、ぜひぜひメール待ってます(笑)


2011.07.13 Wednesday

陸前高田薪割紀行3

"鉄板ストーブのその後"


実は日曜の朝、早起きしてカトーくんと橋本大治と3人で、前回ストーブを届けた中学校へ向かいました。

これは自分の行動の結果、がそこには待っているようで、怖さもあったけど、必要な現実だったように思う。


4月の被災地支援活動の後、ボクのケータイで撮った写真がアメリカの雑誌にまで掲載されたり、

"行った人数分の笑顔"を作ってきたいという"身の丈の志"が大きく扱われ、歯がゆい気持ちになっていたりした。

それが、季節が変わり、月日がたち、どうなったのか?
(当時の写真と是非見比べて欲しいです)



自衛隊と瓦礫があったグランドには仮設住宅が。



避難所とは"柵"で仕切られてた。。


歩いているうちに僕等が持っていったストーブがあった。

真っ赤にサビて

あちこち壊れていたけど寒い時期、少しの役に立てたんだな、という佇まい。

錆びたストーブの隣には、当時毛糸の帽子でまかなったおじさんが、なんと同じように、居た。

感動の対面というわけではなく

おじさんは現実を沢山教えてくれた。



僕等がストーブの煙突を固定した鉄棒。


ノルスタジックにあのときを思い出すのは

熱すぎる吸い込む息が拒絶してくれた。



見てきてよかったです。



2011.07.12 Tuesday

陸前高田薪割紀行2

震災3週目に同じ陸前高田へ行ってて、震災から4ヶ月。今回どうだったか。。。


前回、沿岸部にクルマが入ったときのあのショック、、

そしてあの風景がアタマにあっての沿岸部にたどり着いたとき…今回もまたびっくりした。

何でか、というと正直、片付いててビックりしたの。

これには主観やいろいろあると思うけど、こんなに片付いてるとは思わなかった、というか、。。。

というかそれほど、それほどに被害が凄かったんだって、本当に。

あの瓦礫をどうにかしたことにびっくりしたのもあると思う。



瓦礫が撤去されて土が出たところには雑草が生え始めていた。



今回初めて東北に来た人はあれでもびっくりしたことだろうと思う。


大きな問題は片付きやすいのかもしれない。

難しい問題がどんどん現地に残ってるんだなぁ、と想像つく。


さて、ボクらが出来ることとは…




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