スモールタウンホステルの薪支度、というイベント。面白かった。
何が、って、まず参加者の方々が一番メインストリームになりそうな? 層が殆ど居なかった。函館っぽい 笑
意外なことに若い女子が多かった。
みんな積極的ですぐに上手になったし、昼から来た24歳の女子は男子も含めちょっと未経験者では見たことないくらいのセンスだった。あの子を10代の時に発掘してたら薪割りワールドカップの女子の代表にするためにスカウトしてたかもしれない。
ないけど笑 それ。
まあこの子らに木伐らせてあげたいとか思ったわ。みんな若くて。色々な経験をどんどん糧にしていってくれそうな感じがまぶしかった 笑
(本日の成果↑↓のナラとイタヤとアオダモとブナ。この後スモールタウンホステルにみんなで積んだ)
楽しさの本質は苦しさのような気がする。
対比するものが無かったら楽しいも苦しいも無い。そのふり幅が薪割りって素敵なんだよな。そのふり幅が上質だし本質的なんだよな。
だとしたらグランピングは廃れるだろうし廃れてほしいし。電気炊飯ジャーとかがあるキャンピングカーとキャンプは本質的に違うような気がする。古いのか??俺が 笑
飯盒でメシ炊こうよ。
一度面倒くさいをアウトソーシングしてしまうと、その先の人生で面倒くさい先の楽しさにはなかなか辿り着けないだろう。
薪ストーブもそう。この世の中便利に過ごすのなんて簡単だ。
スイッチを押したり切ったりすればいいし、誰かが考えた自動の制御に飼いならされりゃいい。本質との接点は多きゃ多いほどいい。アイホンを無くしたとしても何も失わない自分でいなきゃね。
アイホンと関係なく
火をつけるのがうまいとかっこいいよ。
アイホンと関係なく
人に何かをうまく伝えられるようになりたい。
蕎麦打ったり、パン膨らませたりすることもこの先もずっと手で行われ続けるだろうと思う。
そっちが多いほうがいい。
薪割って焚いて過ごすのって一昔前はどこか長閑で牧歌的だった。
でも今においてそれはちょっと違う。スイッチ一つで寒くなく生きれる時代に、薪割って火焚いて生きるのなんて、めちゃめちゃワイルドだと思う。